オトメナゲヤリ

はみだし女の備忘録&雑記ブログ

今この時代に、日本という国で、人と違う生き方をするということ。

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この時代に日本という国で人と違う生き方をするということについて、自身の経験を交えて考えたことを書いておきたいと思います。

 

 

「私」という生き方

私は現在、20代半ばにさしかかろうとしている女です。

就職?

していません。まだ大学生です。

わけ合って、大学に入学するのが人よりも遅れました。

高校を1か月で中退して、16歳の時に高卒認定を取得しましたが、そのあと心身の病気などに見舞われ、大学に入学したのは成人してからでした。

今年やっと、3年生になりました。

私には、夫がいます。

「夫」とか「旦那」とかいう言い方は本当は好きではないので、普段はパートナーと言っています。(そうすると「え?何?」みたいな顔をされますけどね。)

彼は、13歳年上の会社員です。

私は学業の傍ら、駆け出しですが執筆業をしています。

そんな感じで、ほそぼそと暮らしています。

 

 

「異質」を認めないのは人として当然だと思う

ここまで話してきて、「あ、コイツ、フツウじゃないんだな」と思われた方、多いと思います。

大丈夫です。概ね間違っていません。

中には、私のこうしたバックグラウンドを聞いて(あるいは人づてに小耳に挟んで)、極端に嫌な顔をする人もいます。悪口を言う人、たくさんいますよ。

特にパートナーのことに関しては、大学の先生にさえもつつかれました。

「そんな年上と結婚して、不埒だな~」とか。

(まあ、この人は後に色々あり、セクハラで訴えてシバいてやったんですが。)

羨ましいのも半分あるのかもしれませんが、とくに質の悪い人間ほど、とにかく他人のことをつつきたがるもんなので、何かを言われても「ああ、そんなもんだな」ぐらいに最早思っています。

それに、「フツウ」じゃないものに対してつつきたがるのは人間の本能です。自分の基準で見た「フツウ」じゃないものを受け入れてしまうと、自分の存在価値が危うくなりますからね。おいそれと異質なものを受け入れられないのが、人間としてごくあたりまえの反応でしょう。

 

 

 

今この時代に、日本という国で、人と違う生き方をすること

さて、やっと本題です。

とはいえ、昔ほど日本は「フツウ」じゃない生き方に寛容なのではないかなと思います。まあ、私は昔を経験していないので、これはあくまで推測です。

私はジェンダーを専攻しているので、男性のライフコースを例にとってみます。

男性は一家の大黒柱として、稼ぎ手役割を担わされてきました。「誰に担わされてきた?」って聞かれれば、それは社会です。女性や子どもではなく、「社会の目」に男性は稼ぎ手役割を担わされてきました。所帯を持って一人前、妻と子供を養って一人前、そのような社会的風潮のなかでは、男性は経済的に誰かに頼ることを許されません。そんな社会的風潮がずっと続いてきました。

今現在は、昔に比べれば、「男性が稼ぎ手役割を降りることを許された社会」だと思います。主夫として自分の生き方を確立してきた男性も、(まだまだと~~~~~~っても少ないとは思いますが)少しずつ増えてきました。つまり、「フツウ=稼ぎ手役割」じゃない男性の生き方を、少しずつ、少しずつ認めてくるようになった社会だと思います。

もちろん、諸外国に比べたらまだまだですけどね。それは日本のジェンダーギャップ指数がよく示している事だと思います。

 

話を戻します。「フツウ」でないことに対してのまなざしが、多少はマシになった日本社会ですが、やはりまだまだです。

現に、人と違う生き方をしている人や、違うライフコースを提案してきた人たちは、めっちゃ死ぬほど叩かれています。名前は挙げませんけど、あの人とかこの人とか……ネット上で活躍する人だけでも何人か挙げられます。

つまり、今この時代において、日本という国で、人と違う生き方をするという事は、まだまだ他者からの理解を得づらいのです。

 

 

「フツウ」側の人たちの意見

ここで、要するに「フツウ」の生き方をしてきた人たちの立場に立ってみたいと思います。

彼らの中には、「フツウ」じゃない生き方をしてきた人に対して、並々ならぬ感情を抱いている人も多いです。

彼らにとって、「フツウ」じゃない生き方をしている・してきた人間を認めることは、すなわち自身の基準の中での異質を認めることです。異質を認めるということは、自分の存在の根底が覆されるという事です。彼らは、自分の存在価値に傷をつけないために、異質を否定するのです。先ほども述べたように、これは人間としての防衛本能でしょう。

まあでも、考えてみたらそうですよね。コツコツと「フツウ」に生きてきた人たちにとって、「フツウ」じゃない生き方をしてきた人間が社会で認められて、持て囃されるのは面白いことではないと思いますから。

 

以下は、さんざん人と違う生き方をしてきた私が、家を出る前に母親に言われた言葉です。

「あんたみたいに「フツウ」に出来ない人が社会から認められたら、面白くないよ、真面目にやって来た人は、みんな。」

そりゃそうだ、と思う反面、「「フツウ」じゃないことを許さない社会ならいらねーからぶっ壊れてしまえ」と、なんだかケツの青そうな言葉が頭をよぎったりもしました。

 

 

人と違う生き方をするには、ぶっとい肝っ玉がねぇと

何が言いたいのかというと、まだ、この時代、日本という国で、人と違う生き方をするためには、ぶっとい肝っ玉がないとやっていけないな、ということです。

人に何を言われても生き抜く覚悟がないと、人と違う生き方を選んではいけないと思います。病みます。

私も現に何度か心身ともに病んだことがあるので、だからこそ思うのです。

 

高校・大学中退、LGBT、非婚女性、主夫、起業、フリーランス、独立、若いうちの結婚、年の差婚……。ここまで読んでくださった方には、色々と思い当たる節があったことでしょう。

願わくば、もうすこし色々なライフコースを認められる世の中になってほしいとは思いますが、「フツウ」側の人達の意見も鑑みると、まだまだ道のりは遠そうですね。