オトメナゲヤリ

はみだし女の備忘録&雑記ブログ

15歳で小児精神科に入院したときの話

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精神科にまだまだいいイメージがない社会だからこそ、自身が入院していた経験を敢えて書こうと思います。

最初に告白しておくと、私はこの半生の中で、紐のないバンジージャンプに及ぶなどして、3回精神科に入院した経験があります。

最後に精神科に入院したのは17才で、成人以降は精神的にだいぶ落ち着いていることをはじめに記しておきます。

 

 

 

「私」がおかしくなった経緯

家族背景

三人兄弟の真ん中に生まれました。

真ん中とはいっても、下は双子の弟なので、ぎりぎり真ん中です。上には兄がいます。

両親はともにいましたが、私が中学生のときに正式に離婚しています。父は昔から酒癖が悪く、家にお金を入れてなかった時期もあり(つまり働いてない)、母や私たちに対する暴力が絶えませんでした。

母は医療系の仕事をしており、年収がかなりあったので家族はなんとか生活は出来ていましたが、父が家事育児をネグレクトしていたため、何もかもを一人ですべて背負っていました。

そんな母の口癖は「いい学校に行って、きちんと自分で食べていけるようになりなさい。ああいうろくでもない人になっちゃだめよ」でした。

 

母親は生活にかかるお金以外の殆どを教育費に回し、私たち兄弟は皆中学受験をして、それぞれ私立の中高一貫校に入学しました。

 

 

教育ママからのプレッシャーと大人への不信感

私の通っていた中高一貫校は、東大や各種国立、世間で難関私立などと言われているような大学に進学する人が多い女子校でした。

勉強はとても好きだったので、周りの評価をナシにしても、意欲的に取り組んでいました。おかげで成績は上位。

この頃の趣味はアニメと漫画と、まあ今とあんまり変わっていません。

学校のマンガ研究部に顔を出し、それなりに友達をつくり、彼女たちとアニメイトに寄って好きな本を買ったりしていました。

が、母親はそれをあまり快く思っていませんでした。

今こそ紆余曲折を経てアニメに対して理解があるママですが、当時はアキバに行ったことがバレただけで、「エッチなCD買ったんでしょ!」とか「変なお店に行くんじゃない!」とか咎められました。

今思うとエッチなCDって何だよ、そんなん、今私が欲しいわボケ…。

部屋のゴミ箱というゴミ箱を漁られて、レシートチェックをされました。思春期にされたくない行為トップ10に食い込むような行為ですね。はい。

この辺でお気づきの方も多いと思いますが、母親は兄弟の中で唯一の女である私の教育にとてもこだわっていたのです。

「女らしく」ピアノや日本舞踊などの稽古事を習わせ、「男並みに」将来活躍できるよう、勉強もしっかりしろとのご指導。もちろん、男兄弟が勉強を終えて外で楽しそうにキャッチボールをしている間も、私は料理の練習に励んでいました。(このことがのちに、私をジェンダー研究へ向かわせる遠因にもなりました)

 

そして、私が中学に入ってしばらく経った頃、父親の暴力がピークに達しました。母親もそれに対抗するかのように毎晩金切り声を挙げて、パトカーが来るまでの大騒動になったこともありました。

そんな家庭環境で、精神がまともでいられるわけがありません。

ずっと学年上位だった成績が下降し始め、それに合わせて、先生たちも私をチヤホヤしなくなりました。その時に、「あ、大人って、こんなもんなんだなぁ」とぼんやり思ったのを覚えています。良いときだけ自分の手柄みたいに、「自慢の生徒だ」なんて調子のいいこと言って、私が傷ついているときには、誰も私の心の傷には触れようともしなかったのです。

だんだん身体がいう事を聞かなくなって、どきどきして、よく誰かに殺されそうになる夢や、見知らぬ人から暴力を受けて必死に抵抗している夢を見ることになりました。

始業時間に起きられなくなって、学校も休みがちになり、両親が騒ぎ出す夜を迎えるたびに、少しずつ、少しずつ、自分の身体からジグソーパズルのピースみたいなものがぼろぼろ欠けていくのを感じました。

 

 

 

小児精神科への入院

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入院までの流れ 

 中学三年生の冬、おかしくなった私は、家中の皿を割って刃物を振り回したそうです。

「そうです」というのも、私はその前後の出来事をはっきり覚えていないからです。なんで暴れるに至ったのか、その経緯を思い出せないでいます。でも、割ったのが夕飯のスパゲティが盛ってある皿だったのは覚えています。今もその時のスパゲティの染みが、実家の壁に残っているので。

 

私は車に乗せられて、都内にある小児科の総合病院に連れていかれました。夜の9時ぐらいだった気がします。暴れて、ぐったりした私は、白衣を着た大人たちに囲まれて、裏口から病院の中に連れていかれました。そのとき、父親は車に残っていたらしく、母親だけが付き添っていました。

「ここにお入り」と医者に連れていかれたのが、二重扉の個室でした。

個室の中にあったものは、トイレと硬いマットレス、カバーのない剥き出しの布団と枕だけでした。

「落ち着くまでここに居てもらいます。監視カメラで観てるから、何かあったら呼んで下さい。明後日にはキミの主治医になる先生が来るからね。」

医者が指さした天井の隅に、小さなカメラがありました。

「じゃ」と言って、医者は二重扉を締めました。扉の小窓から見えた母親は泣いていました。

私はただ、ぼーぜんとしていました。いつも散々な目に遭っているのは私なのに、なんで留置所の犯罪者みたいな扱いを受けているんだろうと、だんだん腹が立ってきました。しかも夕飯を食べ損ねていたので、空腹だし。

個室はどうやらかなりの高層階にあるようで、大きな窓から夜景が見えたのですが、窓ガラスには爪でひっかいたような跡がたくさんついていて、見ているだけで発狂しそうでした。多分、前の患者がやったものだろうけど。

 

しばらくして医者が戻って来て、「夕飯食べてないんでしょ?お母さんが買ってきてくれたよ」と私にコンビニのチーズバーガーを渡しました。

確か、ここに来る途中に、お腹が空いて、「マックのチーズバーガーが食べたいよ」とぼやいていたような気がします。ただ、郊外の病院だし、近隣にマックなんかなかったんだろう。しかし代替品がコンビニの冷えたチーズバーガーなんてあんまりだ。

むしゃくしゃして、私はチーズバーガーを床に叩きつけました。でも医者は驚くことなく、「食べたくなったら食べてね」と言って消えていきました。

硬い布団で寝たあの夜の感情を思い出すと、人生の大抵のイライラがどうでもよくなる気がするのです。

 

精神科の隔離室 

私の入院形態は「措置入院」と呼ばれるものでした。これは、入院させなければ自傷他害のおそれがあるとみなされた患者が、都道府県知事の権限と責任において精神科病院に強制入院させられる、といったものである。

要するに何をしでかすか分からんほど感情が爆発している、と、医者に認定されていたといました。

 

私がいた隔離室の間取り図書いてみました。

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布団のシーツやカバーが剝ぎ取られているのは、それで首をつって自殺未遂をする人間がいるため。ちなみに、二重扉もドアノブが存在しないタイプのドアです。(同じく首吊りの防止) 

 

翌朝、7時か8時ごろになると、またあの医者が来ました。

私の体温と脈拍などを測ると、寝ていた布団の前に段ボールを置いて、その上に朝食を置きました。

マジでムショかよ……。

しかし昨晩から何も食べていなかったので、ガツガツと動物のように朝食にありつく私。

昨日までは、家の温かいお布団で寝起きしていたはずなのに。

今は、監視カメラ付きのトイレ剥き出しの個室に閉じ込められ、ゴハンを与えられ、気分はまるでモルモット。

部屋の中は何もなく、ただ与えられた食事を食べてぼーっと時間を過ごすだけだったのだが……。

 

食べればもちろん出したくなる…

 

しかし、上の間取り図をみればお分かりのように、トイレの真上に監視カメラが…。

一応花も恥じらう15才のお年頃ガール(当時)だったので、膀胱がパンパンになるまで我慢したものの、やはり生理現象には逆らえず、食後、隔離室に入れられてから初めて用を足しました。 

私は親や周りの大人に虐げられてきた被害者なのに、どうしてこんな犯罪者みたいな扱いを受けなければいけないんだろうと、忸怩たる思いで胸がいっぱいでした。

やがて暗くなって、綺麗な夜景の明かりが窓ガラスにともり始めても、それを眺める気力さえなく、膨大な時間を潰すために、ひたすら眠りこけっていたのを今でも覚えています。

 

 

1回目の精神科入院~隔離室から出たその後

隔離室から出る許可を得た私は、閉鎖病棟へと移されました。

入院してから1日半後ぐらいのことです。

小児科で思春期という事もあり、病棟は男子と女子で別れていました。

18才まで入院できますが、実際にいたのは12才~16才ぐらいが主です。

 

丸二日ぐらい風呂に入っておらず、髪の毛もべたべたになってしまい、看護師にその窮状を訴えたところ、お風呂の日ではありませんでしたが、特別にシャワーを浴びさせてもらえることに。

 

シャワーを浴びさせられた後、私はすぐに病棟内に用意された個室に戻されました。

看護師たちにとっては「まだ何をしでかすか分からない不安分子」という感じだったのだろう。

個室にはカメラが付いていたが、今度はトイレと洗面台はドアで区切られていたため、排泄の様子まで医師らに観察されることはなくなりました。

 

 

 

精神科にいた子たち

1日中、看護師が持ってくる病棟の漫画を読んで過ごした私。

次の朝、許可が下りて病棟に出ると、同年代の女の子たちが、私の前にわっと集まってきました。

閉鎖病棟の中で過ごす思春期の少女にとっては、「新しい人」がやってくるのはとても刺激的な出来事なのである。

以下、私がその病棟で出会った子達の中でも印象的だった子達。(全員仮名)

 

 

  • アミちゃん

 当時の病棟のリーダーみたいな感じだった。自殺未遂で隔離室からの閉鎖病棟パターン。援交などもやっており、かなり性的に奔放だった様子。

 

  • マキちゃん

 アミちゃんと仲が良かった。当時15才で私と同い年だった。

 援交やリスカを親に咎められ、精神科に入れられた様子。歌がめちゃくちゃ上手い。病棟でもずっと歌手になりたいと夢を語っていたが、退院して数年後、本当にCDデビューしていたのには驚いた。死ぬほど聴きました。

 

  • ユキコちゃん

 私と同い年。一見普通の女の子だが、精神的に脆い様子。母親との関係に問題があり、精神科に入れられたようだ。

私が私立の中高一貫に通っていた事を知ると、「生徒証見せて!いいなぁ~!」などと滅茶苦茶食いついてきた。学歴について並々ならぬコンプレックスがあったようだ。

 

  • ミナホちゃん

 すごくかわいい美少女。私の一つ年下。

 鬱のため、食事がままならず、かなりやせ細っていた。

 電話をするときとお風呂の時だけ個室から出て来て、いつもダッフィーのぬいぐるみを抱えている、病棟のアイドルだった。

 

  •  カズエちゃん

 私より一個上のお姉さん。父親が事件に巻き込まれて殺されてしまい、その後精神的にやられてしまった母親から虐待を受け、養護施設で生活していた人。

 病棟にいたとき一番仲良くなり、退院後もカズエちゃんの暮らす養護施設に遊びに行ったりした。*1

 「チック」のせいで、しゃっくりみたいに定期的に声が漏れてしまうという症状を患っていた。病棟の患者の中で最年長。

 

  • マホちゃん

メンタルヘルスに不調をきたしていたというよりも、なんらかの脳か神経系の障害で入院していたタイプ。カズエちゃんと並んで最年長だったのだが、障害のこともあり、話していると10才ぐらいの子と喋っているような感じだった。だが、嬉しいことにはすごく喜ぶし*2、不安なことにもすぐに号泣してしまっていたが、逆に言えば感情豊かで人間らしい人だった。

彼女が抱える障害に対する新薬の治験者にもなっていたようだ。

 

 

 

精神科に入院している思春期の女の子たちがみな援助交際やリスカ、自殺未遂などの行為をやっているわけではありません。家庭に問題を抱え、家族と暮らすことが困難になった末、「精神病患者」としてでっち上げられて病棟に押し込まれる子もいました。うーん現代社会の闇。

また、マホちゃんのように、発達障害や自閉症など、脳・神経の障害を抱えて精神科に入院している子もいました。

つまり、一口に「精神科の患者」と言っても、ひとりひとり抱える問題は違うので、全員が全員、メンタルヘルスに不調をきたしている訳でもありませんでした。特に思春期なんて、みんなそんなもん。

 

 

 

 精神科病棟での思い出

 

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病棟ルール

主なルールを箇条書きにしてみます。

 

  • 毎食後の投薬タイムでは、看護師が薬を飲ませてくれる。最後に呑み込んだのを確認するため、口を開けて見せなければならない。*3
  • タイツ・ストッキング・スパッツは禁止。*4
  • リストカット傷のある子は、長袖を着なければならない。*5
  • 紐のついた服は紐を切るか抜かなければならない。*6
  • 携帯ゲーム機は担当医に認められれば持ち込んでもいいが、ナースステーションで管理。

 

 

 日常

基本的にやることがなかったのが一番の思い出です。

朝7時に起床して、夜9時の就寝時間までの壮大な暇つぶしに毎日必死でした。

テレビや漫画などの娯楽もあったけれど、テレビはつけていい時間が制限されていたし*7、個人で持ち込んでいるゲーム機は1日1時間しか使えず、それを過ぎると看護師にボッシュートされます。

そうなると、年頃の女の子が集まってやることと言えば、おしゃべりしかない。

特に、援助交際をしていたアミちゃんとマキちゃんは、自分が過去に出会った男の人についての話を繰り広げ、病棟の子たちを色んな意味でドキドキさせました。

というのも、みな自分が経験したことのない世界の話に興味津々であったが、実は病棟中の至る所に盗聴器のようなものが付いており、会話内容はすべてナースステーションにいる看護師たちに筒抜けだったのだ。本っ当、いろんな意味でドキドキ!!

初めての交渉の話や、今まで出会った援交相手の話で盛り上がってたアミちゃんマキちゃんが、顔を真っ赤にした看護師らに「そういう話はしないの!!」と怒られていました。

 

 医師との面談

当然ではあるが、自宅への外泊・およびその先の退院のためには、医師との面談を重ねていく必要があった。

閉鎖病棟では衣食住に困ることはないものの、娯楽が非常に制限されていたため、常にみんな暇を持て余していた。

また、生理中の人を除き、お風呂は週に3回。*8

 

なので、せめて週末だけは外泊したい!!

 

そのため、みんな担当医に「最近わたし落ち着いてるの!健康!」とアピールすることに必死であった。

間違っても、「死にたい…」などと言ってしまえば、問答無用で外泊は却下である。

 

レクリエーションタイム 

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週に2~3度ぐらい、レクリエーションタイムなどでみんなで工作をしたりしました。

作業療法の一環で、手を動かしたり作品の中で自分を表現したりすることによって、ストレスを発散させたり、脳を活性化させようとする試みらしい。*9

ただ、ハサミやカッターなどは自傷の道具となりやすいため、使用時以外は看護師が所持し、立ち合いの元じゃないと使わせてくれませんでした。

  

 

このような環境のなかで、2ヶ月ほど過ごした私。

閉鎖病棟の中で過ごすことによって、学校や家庭をいったん「忘れる」という治療が出来、比較的平穏に過ごせるようになっていきました。

ただ、それはあくまで対処療法でしかなく、のちに再び鬱をこじらせ、今度は別の病院で生活することになりますが、それはまた別の話。

 

 

 

 

*1:本当は、病棟ルールでは患者同士の連絡先の交換はご法度。しかし、みんな仲良くなった子とはフツーにメールアドレスを書いた紙を交換していた。

*2:いちおう小児科なのでオヤツタイムがあったのだが、オヤツにプリンが出るたびテンションブチ上げになっていた

*3:稀に薬が嫌で、飲んだフリをする子がいるため

*4:それを使って首を吊る可能性があるので

*5:それを見た他の患者の自殺衝動を刺激する可能性があるため

*6:タイツ等と同じく、自殺に利用できてしまうため

*7:朝8時~夜8時、食事の時間のテレビは禁止

*8:病院総出の催し物でお風呂の日が潰れ、週2ということもあった。流石に衛生的に良くないと思ったのか、そういう週には身体を拭くための蒸しタオルが配布された。まさに詫びタオル。

*9:鬱体験者として、これは本当に効果があると思う。落ち込んでいるときとか、何もしたくないとき、折り紙をいじっていたり塗り絵をしたりすると安心するし、何となく考えがまとまってくる。